早乙女 勝元

May 31st, 2005

東京大空襲が戦後どのように語られてきたかを考える時、早乙女勝元氏の存在は非常に大きな意味を持つ。

作家である早乙女氏は、12歳の時に向島で東京大空襲を体験した。1971年に出版された『東京大空襲 昭和20年3月10日の記録』は当時の反戦運動や東京空襲報道ブームにのってミリオンセラーとなった。

岩波新書『東京大空襲』は、数十人の下町の被災者とインタビューして、数ヶ月で書き上げたものである。このドキュメンタリーは、それまで点の記録だけが中心であった三月十日の下町大空襲を、点と線の記録とし、さらに爆撃する米国側の資料も加えた、三月十日空襲の全体像を取材した最初のレポートだった。[空襲記録運動と早乙女勝元氏(松浦 総三)]

1970年頃まで、3月10日の空襲に関する話はあまり語られていなかったようだ。それは恐らく、高度経済成長の中で人々(体験者も含めて)の目が過去に向けられにくかったこと、体験談の希少性が強く意識されていなかったこと、占領下における言論弾圧の名残でアメリカの政策批判や戦災被害の報道について日本のマスメディアが消極的だったこと、そして被災地である東京という場所が急速に復興し、人々の出入も激しく、集団の記憶として強く根付いていなかったことなどが理由だろう。

あえていうまでもないことであるが、東京空襲に関する資料は、八万人からの死者、100万人をこえる罹災者の重苦しい思いにくらべ、あまりにもすくない。信じられないほどである。ことに昭和二八年に『東京都戦災誌』が東京都によってまとめられ、また同じ年に雄鶏社の『東京大空襲秘録写真集』などが出版される戦後の八年間は、東京空襲に関する文献は、あまりにもすくなかった。それから今日まで、この二冊に匹敵するような資料はまだ出ていない。かろうじて、個人の単行本が、ほんの二、三冊思いつくていどである。しかも、その唯一の総合的な資料と考えられる『東京都戦災誌』は、一般には手に入りにくいものだし、数字的にも再検討しなければならない部分がかなり目だつ。またこの記述には、体験者のせつせつたる魂の記録は、いっさいはぶかれている。これでは、東京空襲の悲劇の真相と全容は後世に伝えられないだろう。[東京大空襲 昭和20年3月10日の記録(早乙女 勝元)]

そのような中、自身の小説でも東京大空襲を扱っていた早乙女氏は、東京空襲に関する網羅的な一大記録資料である『東京大空襲・戦災史』全五巻5,000ページの編纂と、「東京空襲を記録する会」の創立に立ち上がる。『東京大空襲 昭和20年3月10日の記録』は、『東京大空襲・戦災誌』の制作(早乙女氏は一編集人として参加)と同時期に書かれ、先に出版された。

その後も早乙女氏は数多くの東京大空襲に関する本を出しているが、その特徴は、次のように言えると思う。

  • 下町庶民の体験談を中心に、空襲被害の悲惨さを訴える。
  • 早乙女氏自身が語り部あるいは体験者のひとりとして登場。
  • 空襲の背景にある当時の軍国主義や米軍の戦略についても触れて状況理解を促す。
  • 読み物としてのおもしろさを引き出すモンタージュ的な構成。
  • 読者ターゲットとして子どもや若年層を強く意識した平易な文体。

こういった特徴から見えるのは、早乙女氏が、東京大空襲についてのデータを集める科学者ではなく、空襲被害のインパクトを被害者の言葉で語り継ぐ文学者であるということだ。そのインパクトとは、まさに12歳の少年が受けた肉体的精神的衝撃であり、彼のその後の使命感を支える根本となっている。

不思議なことだが、私はおなじ現場で行動をともにした母や姉よりも、より鮮明な記憶を今に残している。おそらく大人たちは、生きれば生きたでどう生活するかで懸命だったのだ。その生活の重荷をしょってなかった私は、少年の目で、一眼レフでとらえたカラー写真のように、三月十日のさまざまな印象を、心に焼きつけることになったのである。[東京が燃えた日 —戦争と中学生—(早乙女 勝元)]

早乙女氏の精力的な執筆講演活動に影響されて、東京大空襲の体験談を語るようになった被災者は多いのではないだろうか。今では東京空襲体験談というジャンルが存在するかに思えるほど、多くの体験談(あるいは体験画など)に触れることができる。つまり、『東京大空襲 昭和20年3月10日の記録』の終章に書かれた次のような懸念は、早乙女氏自身の努力の成果もあって、戦後60年の今、それほど深刻化していないようだ。

ほとんど資料らしきもののない東京空襲のおそるべき悲劇は、これから一体どのように人びとに残されていくのだろう。戦後30年を経過したら、記録らしいものは、すべて完全に消滅するのではないだろうか。あの3月10日の朝の、果てしない焦土のように。[東京大空襲 昭和20年3月10日の記録(早乙女 勝元)]

現在も早乙女氏は活躍中であり、2002年に江東区にオープンした「東京大空襲・戦災資料センター」の館長も務める。著書は100冊を超える。

  1. 空襲日記 | 体験談について2

    [...] 作家の早乙女勝元氏は、新聞社やテレビ局の知人をたよって東京空襲を扱うように依頼したが、庶民の過去の悲劇は記事になりにくいのか、ほとんど取り上げられなかったという[東京大空襲 昭和20年3月10日の記録(早乙女 勝元)]。 [...]

  2. 空襲日記 | さいごに自分の頭巾を私にかぶせてくれて

    [...] ところで、多くの被災者は、戦後しばらくの間、辛すぎる自分の体験を語ることができなかった。橋本さんも同様に、戦後25年間、このような体験と戦後の苦悩について熱心に人に話すことはなかったという。しかし、作家の早乙女勝元氏にこの話をした結果、早乙女氏を大きく動機づけることになったようだ。 きいてしまったからには、このままではすまされぬ。私の決意は、いっそうたしかなものになって、やむにやまれぬ気持ちで「庶民の戦災史」を骨格とする「東京空襲を記録する会」の成立を、具体的に自分の中にかためることになった。[東京大空襲 昭和20年3月10日の記録(早乙女 勝元)] [...]

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