2007年3月10日の一日

March 11th, 2007

今年の三月十日は土曜だったので、昼前に家を出て横網町公園に向かった。三月十日に慰霊堂へ行くのははじめてだった。今日は各地で法要が行われたはずだ。

普段、東京空襲についての世間の関心が低いと言って心配していたが、横網町公園にはとても多くの人がいて、境内でも、本堂の中でも、献花や焼香をしていた。週末だったことと、昨日の集団訴訟のニュースで多くの人が今日の法要を知ったことで、例年より参拝者が多いといったことを誰かが話していた。

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空襲慰霊碑の前に人の列ができていた。よく見ると、扇形の花壇の前の丸い水場の水が抜かれていて、いつもは水の下にある石の渡り道が露出し、碑の正面の入り口の門が開いていて内部が公開されているのだった。碑の中には「東京空襲犠牲者名簿」が保管されている。並んでいる人たちは順番に中に入っていく。私も列に加わり、中に入ってみた。碑の内部に立ち入ることができるのは、一年でこの日だけなのかもしれない。

復興記念館では東京空襲資料展が行われていた。行ってみると、展示内容は常設のものと変わりなかったように思うが、多くの人が館内を見学していて、いつもしっとりと寂しさの漂う空間がにぎわっていた。古い木のタイルの床がみしみし言っていた。

その後、すみだ郷土文化資料館へ行った。二週連続で開催されている「空襲体験者が絵を前に語るギャラリートーク」を聞きに行ったのだ。先週と今週で四人の方の体験談をうかがうことができた。どの方も丁寧に話をされていて、悲しく恐ろしい体験であっても、できるだけきちんと伝えようと、冷静によくまとめられていた。

20名程の参加者のほとんどは七十代ぐらいで、皆なんらかの形で戦災を体験した方たちのようだった。質問もいくつか出たが、それよりも、自分の体験談を思わず話し出す人が何人もいた。(郷土文化資料館には来場者がコメントを残すノートが置いてあるが、空襲関連の企画展示をやっている時は、いつもたくさんの体験談がそこに綴られている。)

また、空襲被害者への補償がまったくないことについての批判を口にする人、集団訴訟のニュースの話を聞いて自分も原告団に参加したいがどうすればよいのかとたずねる人、若い世代に戦争体験を伝えていくことの重要性をうったえる人など、様々な人がいた。参加者同士の中で空襲時に同じ地域に住んでいた人と知り合い、意気投合して、もっと語り合いたいですねと肩をたたきあっている人もいた。終わりの時間になっても皆なかなか帰ろうとせず、ちょっとしたサロンのようになってしまった。

すみだ郷土文化資料館を四時頃出て、言問橋を渡り、浅草に向かった。浅草公会堂で開催されている「東京大空襲資料展」を見るためだ。

浅草公会堂にはたくさんの人がいて、資料展は盛況だった。また展示されているものもとても充実していた。当時の生活用品や刊行物、米軍の作戦内容の解説、被害の統計データ、体験画、被災写真、参考文献、ビデオ上映会、その場で聞くことができる体験者のお話など、たまたま訪れた人にとっても、これを目当てにわざわざ来た人にとっても、大変勉強になる有意義な内容だった。

その後、浅草で夕飯を食べ、自宅のある亀沢に戻った時には、もうすっかり夜になっていた。家のすぐ近くまで来て気づいたのだが、家々の前の道端に、小さな灯籠のようなものがいくつも置かれていて、ぼんやりと光っていた。紙を輪にして、その中に瓶に入れたろうそくが置かれている。ひとつひとつ、切り絵のように細工してあって、お地蔵さんの顔が刻まれている。たまたま町会の方とすれ違い、話を聞くと、これは町会でやっていることで、家々で一生懸命作ったのだという。

竪川中にいくともっとたくさんあるというので行ってみると、確かに、たくさんの灯が置かれていた。それぞれに、中学生によるものだろうか、メッセージが書かれていた。

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