戦災殉難者諸精霊供養之塔(妙見山別院)
February 13th, 2006江戸末期、勝麟太郎(勝海舟)が病や怪我をすると祈願のために父の勝子吉が通ったという能勢妙見堂。ここに、大震火災遭難者追悼碑とならんで戦災殉難諸精霊供養之塔がある。[墨田区戦跡マップ(墨田平和委員会)]
前住職能勢観法氏が昭和三十六年三月十日の戦災死没者の十七回忌にあたり、厩橋四丁目、石原四丁目町会幹部に声をかけ、関東大震災の碑が戦災にあい壊滅状態になったものを改修するのに際して、戦災供養碑を一緒に建立したものだという。平成五年九月に手直しされた。経費は檀信徒が負担した。彫られている文字は、東京都知事東龍太郎の書。[昭和二十年東京大空襲関連史跡(墨田区)]
毎年三月十日、九月一日を中心に、供養が行われる。