東京都慰霊堂(横網町公園)- 2

June 9th, 2005

マップ

震災記念堂が建てられた翌年の1931年(昭和6年)、震災の記録を後世に伝え復興事業を記念するために、復興記念館が同敷地内に建てられた。こちらも設計は伊東忠太である。復興記念館には、1929年(昭和4年)に開催された帝都復興展覧会で出品された災害遺留品などが展示された。


1933年(昭和8年)頃の震災記念堂 右下が復興記念館
右上に本所公会堂(両国公会堂)や旧安田庭園が見える
[一九三三 大東京寫眞案内(博文館)]


東京都復興記念館

この頃はまだ、この敷地を「被服廠跡」と呼んでいたらしい。『一九三三 大東京寫眞案内(博文館)』を見ても、「横網町公園」という名称は使われていない。この名称は、戦後つけられたのかもしれない。

震災記念堂
 九月一日が回り来る毎に、永遠に涙新たなる所、関東大震災に、六萬有餘の市民が、狂喚の中に一團の焔と化した被服廠跡に建てられた慰霊堂である。堂塔の敷地併せて四百二十八坪、三重塔の高さが百三十五尺、近く同愛記念病院がある、米国から贈られた震災義金によって建設された東洋一の大病院。[一九三三 大東京寫眞案内(博文館)]

そしてこの本所一帯は、東京大空襲によって再び猛火の中心となる。木造家屋の密集地帯という下町の性質は、震災後の復興事業によって改善されるかと思われたが、実際には、焼け跡に仮設された多くの長屋が、都市計画の後退によって低水準住宅として定着してしまっていた[東京大空襲 B29から見た三月十日の真実(E・バートレット・カー/大谷 勲 訳)]。

大正十二年の関東大震災によって、東京の市街地は大きな被害を受け、なかでも墨田地域は、地震と火災のため九割強の人家が失われ、死者四万八千人と、東京市全体の八割強に達する惨状を示した。やがて、復興期を経て活況が取り戻されたが、第二次大戦の戦火で再び区内の七割が廃墟と化し、六万三千人の死傷者と三十万近い罹災者を出した。[ふるさと墨田(墨田区教育委員会)]

1945年(昭和20年)の東京大空襲により殉難した氏名不詳の遺体は、錦糸公園、隅田公園、上野公園をはじめとする都内各所の公園、空き地、寺院、学校等に仮埋葬された。戦後、1949年(昭和24年)、1950年(昭和25年)、1951年(昭和26年)の冬季に再び遺体を掘り起こし、近隣の火葬場において火葬した。約10万体の無縁仏の遺骨は400以上の大骨壺に納められて、震災記念堂地下の納骨堂に安置した(一つの骨壺に約230人分納めてある)。そのうち住所氏名の分かっている3,930の遺骨は一人ひとりの骨壺に納められており、その名簿は慰霊堂の隣にある東京都復興記念館に保管されている。さらにそのうち約300の遺骨は既に遺族に引き取られ、約3,600の遺骨が大骨壺とともに保管されている[東京大空襲関連史跡(墨田区総務部総務課)]。


納骨堂内の骨壺
[東京大空襲関連史跡(墨田区総務部総務課)]

そして震災記念堂は、1951年(昭和26年)9月1日、東京都慰霊堂と改称された。


慰霊堂本堂

慰霊堂の中に入ると広い講堂になっており、正面奥に祭壇がある。壁には震災および空襲被害の様子を伝える絵や写真が展示されている。

本堂の近くには、「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」がある。

これは扇形の花壇と丸い水場で構成されたモニュメントであり、いつも花が絶えない。そばに次のような説明書きがある。

東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑

 第二次世界大戦で、東京は、昭和17年4月18日の初空襲から終戦当日の昭和20年8月15日に至るまで、アメリカ軍の度重なる空襲により甚大な被害を受け、大方が非戦闘員である多くの都民が犠牲となりました。
 こうした東京空襲の史実を風化させることなく、また、今日の平和と繁栄が尊い犠牲の上に築き上げられていることを次の世代に語り継ぎ、平和が永く続くことを祈念するための碑を建設しました。
 この碑の建設に当たっては、「東京の大空襲犠牲者を追悼し平和を願う会」の呼びかけにより、多くの方々から寄附が寄せられました。
 斜面を覆う花は生命を象徴しています。碑の内部には東京空襲で犠牲になった方々のお名前を記録した「東京空襲犠牲者名簿」が納められています。

平成13年3月 東京都

復興記念館内では、戦災死者遺骨名簿を閲覧することができる。また、氏名などが判明しているにもかかわらず引き取り手のない遺骨が多く残されていることから、東京都は、心当たりのある人からの問い合わせを現在も受け付けている。しかしそういった遺骨のほとんどは一家全滅の犠牲者であると思われ、これより先、親族などが現れることはあまり期待できないかもしれない。


復興記念館内にある案内書き

東京都慰霊堂は、東京大空襲殉難者を慰霊しようとする者がまずはじめに訪れるべき場所だろう。特に、毎年3月10日と9月1日には法要が営まれ、犠牲者を偲ぶ多くの人々が参詣する。


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