墨田電話局の慰霊碑
January 31st, 2006三ツ目通りに面したNTT石原ビルの庭に、白い慰霊碑が立っている。1958年(昭和三十三年)の3月10日に建立されたこの碑は、大空襲の夜に業火の中で最後まで電話交換の職務を遂行した殉職者を慰霊している。
慰霊碑のそばの由来書には次のように書かれている。
この慰霊碑は、昭和二十年三月十日未明の大空襲により当地一帯が焼け野原と化した際、電話局も全焼し前夜から勤務していた十五歳を最年少とする電話交換手二十八名及び男子職員三名が最後まで職場を守り殉職された。職員の霊と、関東大震災において殉職された男子職員二名の霊を慰めるとともに、二度とこのような悲劇の起こらないことを祈願して昭和三十三年三月十日に建立されました。
慰霊碑右手前には吉川英治氏の自筆による碑文があります。
昭和五十九年三月十日 墨田電話局
当時の電話交換手は主に十代から二十代の若い女性だったが、爆撃下でも重要な通信施設を守り抜くよう軍から要請されていたため、周囲が火に包まれても職場を放棄せず、最後までブレストと呼ばれる送受器を握り続けた。
旧墨田電話局で生き残った元職員、富沢きみさんは、翌朝の現場の様子を手記にこう書き残している。
骨になった遺体が、壁際に頭を向け、かばいあうように重なり合っていた。何かを訴えているように思えて、「だれか一言でいいから何か言って」と叫んでしまった
慰霊碑のそばの石碑には、富沢さんの言葉が刻まれている。
平和の尊さを おろそかにしてはなりません
そして 世界の平和こそが 最大 最高の幸に つながる事を
また、慰霊碑の左手前にある吉川英治氏の碑文は次のとおり。
人々よ……ふとここに佇む折りもあらば、また何とぞ一顧の歴史と、寸時の祈念とを惜しませ給うな