2009年の3月10日

March 10th, 2009

朝会社に行く前に慰霊堂に寄った。
時間が早かったためか、人はまばらで、横網町公園は静かだった。
それでもあちこちで係の人が法要の準備をしていて、本堂の入り口では、数十人の参拝者が列をつくって順々に中へ入っていくところだった。
線香の煙が漂って、すでに厳かな空気だった。

  1. 深瀬

    はじめましてhp拝見しました。
    当方も管理人様と同じ戦後生まれです、(1964年生まれ)ここ5年位の間に大東亜戦争に興味を持ちいろいろと閲覧しています。(特に空襲)
    なにか行動しているわけでは無くただ真実が知りただけなんですけど、いろいろ読んでいる内にどんどんハマッテしまいました。
    自分の父は、昭和9年生まれですがあまり戦時中話は、しませんでした。
    5歳くらいの時渋谷のガード下に軍服を着て楽器を演奏している人の事を聞いたらえらい怒っていました。
    あと乾パン食べたいも厳禁でした。
    ただ東京大空襲の話は、珍しくしていました、父の実家は世田谷の用賀で深川方面の空がオレンジ色に染まっていいたとか、B-29が瀬田あたりに墜落した話、向かいの家に機銃掃射があった話を淡々としていました。
    母も東京の空が真っ赤に染まっていたと話していました。(母の実家は茨城の境町)
    いまでも消防車のサイレンが鳴ると飛び起きるのは、空襲警報のためだと母が言っていました。
    これからは、我々世代が次の世代に語り次がなければいけません、これからも頑張ってください。

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